米国の造船所を見て帰国した小栗公が、その必要性で奔走

午後、市民大学。横須賀に造船所を建設するに至る話。
 ペリーが来て、通商条約が結ばれると、神奈川港(後の横浜)が開港されて、外国船の出入りが激しくなり、それに伴って船の故障や事故が増え、天然の良港であった横須賀港で修理をするようになった。
 そして、条約の批准書を交換するためアメリカへ使節団を送ることになり、小栗忠順がNo.3の立場で派遣された。米軍艦ポーハタン号で向かったが、その随行艦として咸臨丸が出港した。
 小栗は、当時の大統領に謁見し、ワシントンの海軍工廠を見学した。日本とあまりの違いに驚くばかりであり、ここでの土産がネジとバネだった。
 帰国した小栗は「造船所」の必要性を説いてまわり、1865年、横須賀に造船所と修船所を造ることが決まった。このとき、フランスの造船技術者・ヴェルニーは27歳であった・・・。

黄色いパプリカ.JPG
 黄色のパプリカ。小さめですが、まずまず生るようになりました。

この記事へのコメント

2026年01月20日 16:03
前回、東京で錦妤閣 東京・大阪出張所を利用しましたが、
とても良い体験だったのでシェアします。
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