同じ敗戦国、ドイツ・イタリアとの主権の違い・・・

 今日は終戦記念日。戦争が終わって、もう80年になろうとしています。私は、戦争は知りません。小さな頃は、防空壕があったり、練兵馬の跡があったり、両親からも大変だった現実の話をよく聞かされて、想像の中で知っているだけです。
 今も横須賀には米軍が駐留していて、それが当たり前のことになっています。米軍の関係する事故が起きても、日本の国内でありながら警察や司法が介入することが難しいという現実もあります。国もそれが当然のように扱います。
 つまり、80年経っても、「敗戦国」という立場がそのまま残っているに等しいといえます。しかし、同じ敗戦国でもドイツやイタリアはどうでしょうか。米軍が駐留していてもそれぞれの国の法律が適用されていると聞きます。
 この違いは何なのでしょうか。おそらくは、国民性の違いにあるのではないかと思います。農耕民族、狩猟民族という違い、争いを繰り返してきた歴史からの領土意識の違い、こうしたものが、違いを生み出しているように思えてなりません。争いを好まない気質故ではあるのですが、どこかで、踏ん切りをつけることが大切だと思います。

ハイビスカス.JPG
 ハイビスカス。5月に植え替えをしたので、今年はあまり咲きません。

この記事へのコメント

やまもと
2024年08月16日 12:01
「この違いは何なのでしょうか。おそらくは、国民性の違いにあるのではないかと思います。」

国民性ではなくアメリカの戦後処理の方法によるものと考えます。

アメリカが日本だけに原爆を落とした理由は何だったのでしょうか
完成した時期が仮に早かったとしても
ドイツとイタリアは同じ白人国家。アメリカは原爆を落とせるわけがなかったと解釈しています。

したがってアメリカの戦後処理の仕方も日本は有色人種として差別的に扱われた。

ワーギルドインフォメーションプログラムにより、徹底的に大東亜戦争に対して対して日本人に罪悪感をもたせる教育を日本中に繰り広げた。

天皇陛下の命と引換えにアメリカはこれを実行した。一つの民族の歴史を 終焉させようとしたわけですね

ちなみに陛下は命乞いをしなかった。全ての責任は私一人にある。私を死刑にして国民に食料を与えてくださいとマッカーサーにお願いした


私は戦後、アメリカの都合もあったでしょうが陛下の命を助けてくれたアメリカには感謝しています。


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