澤田さんの画を見て、「あんな画が描けたらいいな」
これ、元市長の澤田秀男さんから昨年いただいた年賀状に描かれている水彩画です。(もちろん実物の写真です)
いつの頃からか年賀状の行き来をするようになりました。市長在職中は、議会でいつも厳しい議論を交わしていました。美術館の建設、原子力空母の入港問題・・・。若気の至りでした。
それが、11区から東大卒の衆議員候補が出て、私が澤田さんの自宅へ挨拶に訪問したのがきっかけでした。応接間へ通されて、2時間くらい澤田さんの熱弁を聞いたことをよく覚えています。それからもう15年。吉田市長の時代には美術館運営のことで呼ばれ、お話を伺ったこともありました。
そんな縁があって、あるとき、文化会館での展覧会の案内をいただきました。出向くと、澤田さんの描いた水彩画が展示されていました。「これだけの画を描くんだ・・・」と美術館建設への熱い想いが解ったところです。
それで、しばらく経ってから、市役所の大先輩である山下さんのお宅へ「私にも絵が描けますか」と訪ねていき。その翌年に画材を一式頂戴したのでした。今にして思えば、澤田さんの画を見て、「あんな画が描けたらいいな」と思ったのが、最初であったように思えます。

いつの頃からか年賀状の行き来をするようになりました。市長在職中は、議会でいつも厳しい議論を交わしていました。美術館の建設、原子力空母の入港問題・・・。若気の至りでした。
それが、11区から東大卒の衆議員候補が出て、私が澤田さんの自宅へ挨拶に訪問したのがきっかけでした。応接間へ通されて、2時間くらい澤田さんの熱弁を聞いたことをよく覚えています。それからもう15年。吉田市長の時代には美術館運営のことで呼ばれ、お話を伺ったこともありました。
そんな縁があって、あるとき、文化会館での展覧会の案内をいただきました。出向くと、澤田さんの描いた水彩画が展示されていました。「これだけの画を描くんだ・・・」と美術館建設への熱い想いが解ったところです。
それで、しばらく経ってから、市役所の大先輩である山下さんのお宅へ「私にも絵が描けますか」と訪ねていき。その翌年に画材を一式頂戴したのでした。今にして思えば、澤田さんの画を見て、「あんな画が描けたらいいな」と思ったのが、最初であったように思えます。

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