三陸鉄道、わずか3年で復旧。でも、人の住めない場所に・・・
2か月くらい前、NHKのプロジェクトXで、3.11後の三陸鉄道復旧が取り上げられました。被災からわずか3年。入学式に間に合わせることが至上命題であったそうです。ズタズタに壊れた橋や盛り土を列車が走れるまでにする。昼夜分かたずの突貫工事であったそうで、復興のシンボルともなりました。
中でも、田野畑村・島越地区がいちばんの難工事であったと報道されました。そこで、折角行くのだからと現地を見てきました。確かに、流されてしまった盛り土は、コンクリートの塊となり、線路が敷かれていました。これだけでも10mくらいの高さでしょうか。
そして、海側に、さらにもう少し高い防潮堤が造られていました。しかし、地域内には漁業施設があるのみで、住宅は一つもなく、駅舎の隣に「コミュニティセンター」が新築されていました。駅には売店があり、そこで聞いてみると「ここは人が住めない場所になった」とのこと。
防潮堤は分かるにしても、人がいないのに村の施設があるとは・・・。事情があるのかもしれませんが、何か割り切れなさを感じて後にしました。
中でも、田野畑村・島越地区がいちばんの難工事であったと報道されました。そこで、折角行くのだからと現地を見てきました。確かに、流されてしまった盛り土は、コンクリートの塊となり、線路が敷かれていました。これだけでも10mくらいの高さでしょうか。
そして、海側に、さらにもう少し高い防潮堤が造られていました。しかし、地域内には漁業施設があるのみで、住宅は一つもなく、駅舎の隣に「コミュニティセンター」が新築されていました。駅には売店があり、そこで聞いてみると「ここは人が住めない場所になった」とのこと。
防潮堤は分かるにしても、人がいないのに村の施設があるとは・・・。事情があるのかもしれませんが、何か割り切れなさを感じて後にしました。
この記事へのコメント
やまもとです